「自然農園あぐりーも」fattoria naturale Agri-Mo イタリア野菜・西洋野菜・愛知の伝統野菜を自然栽培で! 

愛知県大府市にてイタリア野菜を始めとする西洋野菜と、愛知の伝統野菜を中心に栽培し、                                   イタリアンやフレンチのレストランに野菜を販売している農家です。

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お金や貨幣経済について考えてみる 

え~っと、小難しい話になりますが、みなさんお金とか貨幣経済に関してどのように思われているのでしょうか?

自然農とか有機とかでもそうですけど、これらを実践している人や、もしくはエコとかナチュラルとかを志向している人ってお金の存在やグローバルな貨幣経済を否定する人って多いと思いませんか?

中にはお金のために奴隷のように働くのは可笑しいと言う感覚を持たれている方もいるようで、物々交換やシェアをしながら生活が成り立たせ、大量消費を否定すればその方が素晴らしい世の中だと仰る人もいます。

その他にも農業を経済に組み込んでは駄目だ、もっと地域内の循環を推奨すべしみたいなローカリゼーションを唱えたりね。


どれも正しいと思えますが、逆にどれもが正しくないとも思えます。

そもそもお金が誕生した意味はどう言う事でしょうか?

お金が誕生した歴史を考えれば、価値の平等を図る指標とかなんとか聞いたことが有りますから、歴史的に物々交換では不平不満が出やすい経緯があったのではないでしょうか?
味噌と醤油の交換くらいなら良いですけど、極端に書けば家一軒と野菜一個ではともに生活必需品とは言え、不平等感ありすぎですよね?



お金の奴隷になる、と言う感覚が端的に理解できません。

私の考えでは、お金は単なるアイテムの一つで、たとえそれが物々交換でもシェアでも、欲しい物を手に入れるためには何らかの労働をして、自らが作ったものや手に入れた物を、他者と交換あるいはシェアするわけですよね?

とくに農家である私の場合、食い物だけの話ならば野菜だけ食べていればお金を使わないで済みますが、その他に食べたい物だってあるし、衣服や、トラクターだって、それを動かすガソリンも必要。
それらを得るためには農作業という労働をこなして野菜を育て上げ、販売換金したり、又は物々交換やシェアし、何かしら欲しい或いは必要な物を手に入れるしか方法はありません。


私にとって生きると言う意味においては物々交換だろうが、シェアだろうが、それがお金だろうが、単なる手法またはアイテムの違いだけにしか感じられないのです。

すなわち労働を奴隷として否定するという事は、生きるという事を否定するに等しいわけです。


グローバルな経済を否定しようとも、現に生活に必要な多くのものが輸入されています。
例えば現代社会では電力は必須の物です。
ネット上でグローバル経済を否定する輩もいますが、そのネットを使うためには電力が必要ですよね?
農家でいえばトラクターを動かすにもガソリンが必要。

その電力やガソリンなどのエネルギー源の元を辿れば、その多くが輸入により賄っている事実に目を向けていない、或いは目を背けていることに気が付かないのでしょうか?

エネルギーを安定的に輸入するために海外とのお付き合いが大切なものになります。
否応なしにグローバルな経済に足を踏み込まなければ、安定した平和な暮らしは保っていけません。


過度な大量消費、物量にまみれた生活は良しとはしませんが、現代的な必要最低限の生活を営むためにはお金や貨幣経済は大切だという事です。


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