「自然農園あぐりーも」fattoria naturale Agri-Mo イタリア野菜・西洋野菜・愛知の伝統野菜を自然栽培で! 

愛知県大府市にてイタリア野菜を始めとする西洋野菜と、愛知の伝統野菜を中心に栽培し、                                   イタリアンやフレンチのレストランに野菜を販売している農家です。

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いただきます 

先日、同じ県内の農業仲間である「土磨」のたつまさんが、ショッキングな情報をブログに載せていた。

どんなショッキングな事かというと、家畜堵殺場の映像である。
(今回は思うところが有って、リンクはしません。
 たつまさん申し訳ない。
 見たい人は自分で探してください。
 但し、ただ単に残虐なシーンを見たい人は探さないでください)


一応殆ど見ましたが、それを見て可哀想だから堵殺を止めろだの、動物愛護だの何だのと言うつもりはありません。

個人的には人間として栄養価の面から、多少の肉類の摂取も必要だと思っているので。
もしそんな必要はないし、動物愛護の面から私は肉類を摂取しないと言う方がいれば、ベジタリアンになっていただければと思います。


さてこのビデオを見てしばらく時を経てから思ったことが、数点有ります。


まずはこれは人間と同じ声が出る哺乳類や鳥類だから、可哀想と思うのではないか?

例えば日本人なら殆どの人が、新鮮なお刺身が好きなのではないでしょうか?
活魚料理屋さんなんかに行けば、水槽から魚を取り出し、その場で捌いて舟盛なんかに豪勢に並べられてきます。

中にはまだパクパクと口を動かしている魚もいれば、ピクピクと痙攣している魚もいる。
中には踊り食いなんてのもあるし。
(魚は声が出ませんし)

殆どの人が「わ~新鮮で美味しそう!」と感じるのではないだろうか?
こう言う場面で女性からでも「可哀想~」と聞いた事は、僕の周りでは確か無いはずです。
(刺身は古くからの文化で慣れているから)


もう一つは文化と言うか、宗教上の流れから来ている物では?

インドのヒンズーや仏教からの流れで、平安以降の日本もどちらかと言うと動物を殺してそれを食べると言う習慣が少なかったし、特に日本では神道の習慣が色濃く残って、死に対しては「穢れ」という感覚があり、お葬式の帰りにお清めの塩を振ったり、いけない事ではあったが堵殺を生業としていた人たちに対し昭和の中ごろまで差別をしていた。

反対にユダヤ教から始まり、キリスト、イスラムと続く西洋圏の一神教宗教では、動物の命をと獲ってはいけないなどの教えは確か無いはずだった気がする。
そもそも狩猟民族だし。


で、結局何が言いたいかというと、同じく他の命を獲って自分の命に代えるのなら「それをキチンとした形で、残さず食べて成仏させてあげること。

日本にはご飯を食べる時「いただきます」と最初に言います。
(最近は言わない不届きな大人や子供もいるが。。。)

これは命を育んでくれた自然に感謝すること、生産者に感謝すること、加工流通に関わった人に、調理をしてくれた人に、そして何より命そのものを与えてくれた生き物に対し感謝するための言葉です。

対して西洋でも「いただきます」というのかな?
よく映画のシーンで「今日の食事を神に感謝ウンヌン~~」と言ってから、ご飯を食べています。
彼らは最終的に神に感謝するのであって、生き物自体の命は二の次なわけです。

だから堵殺に関して、日本人のように変な差別も無いのではないでしょうか?


あ、また少し話がずれましたが、「いただきます」の言葉。
僕には子供はいませんが、この言葉の意味するところは機会が有れば伝えていきたし、多くのお父さんお母さんにもキチンと意味を伝えて言ってほしいです。

動物は食べていないと言うベジタリアンさんにも感じてほしいが、植物にだって命はあります。
僕は野菜を収穫するとき、野菜の命を終わらせてしまう事を感じながら収穫します。

ただ、人や動物は生きていく為に、何かしらの命を終わらせなければ生きていけませんが、今の飽食の時代のごとく食べ残してしまう程の、命までは頂かなくてもいいと思います。
堵殺は致し方ないことですが、過剰にすることはいけない事のはずです。


命を奪う以上、それをキチンと最後まで食し、感謝し、生かされている事を感じましょう。
「いただきます」
好きな言葉の一つです。



注)宗教上のことを少し書きましたが、それに対し熱くなりすぎる
  コメントをいただいても、反論のコメントはいたしませんし、
  場合によっては削除させていただきますので、ご了承ください。
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Comment

Name - 通りすがり  

Title - 

少し違うと思われたので・・・
確か西洋でも坊主(神父)は肉食禁止のはずです。
でも、どうしても肉を食べたい牧師達と毛皮ととりたい業者が
「ビーバー」を魚の一種、として乱獲したため
ヨーロッパ圏内のビーバーが絶滅寸前に追い込まれた、と聞いたことがあります。
それと日本でも山に住む人たちは昔からお肉食べてますよね。
肉食が嫌われるようになったのはおそらく江戸時代。
歴史は浅いです。
あと屠殺業は今でも被差別階級の人たちが担っています。
そうでないとスーパーにあんなにたくさんのお肉
並びませんよね。
昔、といってもほんの何十年か前までは、(私の父が子供の頃)
どの家も鶏を飼っていて、卵を産まなくなると
その鶏を処分して皆で食べたそうです。
毎日世話した鶏を処分して食べるなんて
残酷でできない!!!と親に訴えると
食べなさい!!!ときつく叱られて兄弟揃って
泣きながら食べたそうです。
なんて残酷な、と思いながら、鶏肉が美味しくて
またさらに泣きながら食べた、と
父親が言っておりました。
今の日本人に足りないのはこういう経験では
ないでしょうか。
殺して食べる、という事を認識して
初めて「いただきます」を理解できるのだと思います。
あと、魚の生き造りですが、
これ西洋の女性はとても嫌がります。
以前接待で
「なんて残酷な!!!」と言われた事があります。
2007.06.16 Sat 09:41
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Name - 田中敬三  

Title - 

わたしたちは、動物であれ、植物であれ、魚であれ、菌であれ、何らかの命を食べなければ生きていけません。そのような存在であることを「悪」とする根拠はないと、わたしは思います。自分以外の命を食べること自体は、いいも悪いもなくて、そういう善悪判断から離れた行為なのだと思います。
ポイントは、その食べるものを自分で栽培し、あるいは飼育し、あるいは捕獲ししているのか、そうではなくて、自分ではそのへんをパスして、他人にそれらをやらせているのか、ということなのではないのでしょうか。食べる人が育てる、あるいは獲る現場を知らないから、むさぼる(必要以上に食べる)ようになるのだと思います。
自分の命を支えているものを知らないで生きていること、あるいは、それを知らないでも生きられてしまうような社会状況が、結局は人間のもろもろの苦しみを生み出しているのだと思います。横暴な人間というのは、無知なのです。
大切なことは、自分が食べているものがどのようなものかを知ること、そして、できる限りそれらを自分で育てよう、あるいは自分で獲ってこようとすることではないでしょうか。自然を知って、人間自身を知れば、どう生きたらいいかの答えは、向こうからやってくるような気がしています。
2007.06.16 Sat 09:49
Edit | Reply |  

Name - 通りすがり  

Title - 

屠殺業の人たちはどの世界でも文化でも
大体忌み嫌われています。
でもそういう方たちが食卓を支えているのが事実です。
以前保健所の方が子供たちに
「なんでこんなに可愛い犬や猫を処分するんだ!!!人間のやることでない!人でなし!!」
と罵られたという話を聞いたことがあります。
その保健所の方は
「でも世の中には私のような職業が必要なんです。
そうでないと野良猫や野良犬であふれてしまう。
私のような職業が必要でなくなるとき、
それは皆さんがきちんとペットを責任もって最後まで看取る
という当たり前の事が当たり前になったときです」
とおっしゃっていました。
口にするものばかりか、ペットまで粗末にする。
神をも恐れぬ所業です。
ペットを手放す時は自分の手で始末をするように
という法律ができればいいのに。
2007.06.16 Sat 09:55
Edit | Reply |  

Name - ニー  

Title - 

草がいっぱい生えていると、気付かずに作物を踏んでしまう事がある。
そのとき思わずゴメンって言ってしまう自分がいます。
草は踏んでもゴメンの言葉は出ませんが^^;
2007.06.16 Sat 09:57
Edit | Reply |  

Name - たつま  

Title - 

人間には感情や意思がるから「酷い!」とか「可愛そう!」ってなる。
動物達の世界は弱肉強食。
生きる為に食べる。
大きな視点でみたら人間も同じ。

でも違うのは「心」があることかなって。
かといって、動物には無いとは言い切れない。
(だって言葉が分からんもん 笑)

人間は人間として、「心」を言葉にして「いただきます!」の意味を伝えていかなくちゃ、と思ってます。

2007.06.16 Sat 10:18
Edit | Reply |  

Name - 耕作人  

Title - 

 ◎通りすがりさん
僕の親も似たような経験があるそうです。
鶏のことですけど。。。
それでも普通に、鶏食ってますけどね。

西洋人は活け造りは嫌がる人が多いでしょう。
でも牛肉のカルパッチョを考え出したのは、カトリックのお膝元のイタリアですから、その辺は文化の違いでしょう。





 ◎田中さん
社会構造上致し方ないですが、流通過程がすっぽり抜けて、色々なことを体験する事が無いから、このような事が問題視されるのでしょう。

僕も田中さん同様、何かを食べるために命を頂くことは「悪」とは思いません。
こちらも生きていかなくては行けませんし。

動物を食べることが可哀想だと思う人は、全ての命を対等に見ていないだけでしょう。
植物だって命はあるわけですから。

簡単に言ってしまえば、命を頂くことに感謝をしながら、無駄に食べ残さなければそれで良いと思っています。






 ◎ニーさん
確かに!
雑草は邪魔になれば刈り取っちゃいますしね。
結局は人間の勝手な都合なわけです。
命を頂くのも、頂かないのも。

お互い『自然農』を名乗る以上、なるべく自然農流れに反したことは、しないようにしていきましょう。




 ◎たつまさん
この手の話題には、相変わらず熱いコメントが寄せられて、色んな考え方を見る機会があり勉強になります。

動物にはしっかり心がありますよ。
あのビデオでも他に屠殺されている状況を見て、放心状態の顔の奴がいましたから。

それでも僕は肉食をやめようとは思いません。
ただ必要以上に食べようとは思いませんが。


2007.06.17 Sun 18:13
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Name - ぶーこ  

Title - 

こんにちは!はじめまして。
たつまさんのところからお邪魔いたしました。
私も家庭菜園で自然農の勉強をさせていただいています。
まだ始めたばかりで失敗してばかりですが・・・
こちらのブログも以前からよく拝見させていただいてました。
とても勉強になります。

ところでこの記事にかかれている映像の出元は私です。
配慮に欠けたために、ベジタリアンの方に対し誤解を招きかねないところがあったため、大変反省しています。
そのことを今日の日記で書いたので、もしよろしければ私のブログにいらっしゃっていただけるとありがたいです。

これからも遊びにこさせていただきますね!

2007.06.18 Mon 12:50
Edit | Reply |  

Name - 耕作人  

Title - 

 ◎ぷーこさん
コメント有難うございます。

自然農は数々の失敗を繰り返さないと、中々難しいものがあります。
カク言う僕も失敗の連続中です(笑)

堆肥(植物性のみも含む)をあげて、耕せば、たぶん比較的悩み事も少なくなると思います。

僕のように、ほぼ放任の福岡さんが提唱するような自然農法は、かなり難しいです。
他の無肥料栽培系の人の野菜を食べたことが無いので、味の比較は出来ませんが。。。
2007.06.18 Mon 19:48
Edit | Reply |  

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